16世紀前半(戦国時代)に能登国の守護・畠山氏が築いた城で、その規模は南北約2.5km、東西約1.0km、面積は約252.6haにおよび、全国でも屈指の規模を有した。
自然地形を巧みに利用し、七尾の地名の由来となった七つの尾根筋を中心に多数の曲輪(屋敷地)を連ね、山麓には城下の町並みが形成され、能登畠山文化が華やいだ。
天正5(1577)年の上杉謙信の攻撃によって落城、169年にわたる畠山氏の領国支配の幕が閉ざされた。落城後は、一時上杉方が入り、その後、天正9(1581)年に織田信長から能登一国を与えられた前田利家が入城。天正10(1582)年から17(1589)年頃に、港に近い小丸山での新たな築城により、七尾城は城としての機能を失うこととなった。