MISIAさんが、のと鉄道に乗って穴水駅を訪れてくださいました。
能登を訪れてくださったのは、これが初めてではありません。
令和6年能登半島地震のあと、MISIAさんは炊き出しなどの支援のために何度も能登へ足を運び、
地域の皆さんに寄り添ってこられました。
穴水駅にも、そんな中で訪れてくださっていました。
震災からの復旧、そして復興へ。
長い道のりを歩み続ける能登に、MISIAさんはずっと心を寄せてくださっています。
そして今回、その思いをつなぐように、MISIAさんが歌う「舟いっぱいの幸を」が、
穴水駅の到着メロディーになりました。
8月21日。
MISIAさんは今度は、のと鉄道の列車に乗って、穴水へ向かってくださいました。

【車窓を眺めるMISIAさん】
車窓の向こうには、海があり、山があり、緑があり、そして時々トンネルがある。
きっと私たちにとっては、いつもの風景。
けれどMISIAさんは、その一つひとつを楽しみながら列車に揺られ、
後日ラジオでも、この日の車窓の美しさを本当に楽しそうに語ってくださいました。
その言葉を聞いて、私たちも、いつも見ている能登の風景をもう一度見つめ直したような気持ちになりました。
そして、穴水駅へ。

【旧能登線穴水駅名標とMISIAさん】
列車が到着する少し前になると、ホームに一つの歌が流れ始めます。
MISIA さんが歌う「舟いっぱいの幸を」。
歌声が流れ、その中を列車がホームへ入ってくる
その時間を、MISIAさんご自身にも、穴水駅で過ごしていただきました。
MISIA さんは翌日のコンサートや後のラジオで、
この歌が穴水駅の「日常の一つに溶け込んでいる」と感じたことを語ってくださいました。
その言葉を聞いたとき、私たちの胸にも込み上げてくるものがありました。
震災によって、
それまで当たり前だった能登の日常は大きく変わりました。
列車が走ること。
駅に人がいること。
誰かを迎え、誰かを見送ること。
以前なら何気なく見ていたそんな風景が、決して当たり前ではないことを、私たちは知りました。
だからこそ、復旧を重ね、再び列車が走る穴水駅でMISIAさんの歌声が流れ、
その歌声が少しずつこの町の日常に溶け込んでいる。
そのことをMISIAさんご自身が感じてくださったことが、私たちは本当にうれしかったのです。

【MISIA さんと のと鉄道中田社長 ※車両は廃線となった能登線を走っていた「パノラマカーのと恋路号」】
震災のあと、何度も能登へ足を運び、人々に寄り添ってくださったMISIAさん。
そして今、その歌声は、MISIAさんご自身が感じてくださったように、穴水駅の日常の中に溶け込んでいます。
その歌声や言葉にのせた能登への思いは、ここからさらに多くの人へと広がっていきました。
コンサートやラジオ、SNSを通して、MISIAさんがのと鉄道のこと、穴水駅のこと、そして能登への思いを伝えてくださったあと、
「のと鉄道に乗りました」
「穴水駅に行きました」
そんな声がMISIAさんのもとにも届き、
穴水駅にも、到着メロディーを聴きに来てくださる方々の姿がありました。
MISIA さんの言葉を受け取った方々が、その思いをたどるように、能登へ、穴水へ来てくださった。
一つの歌声が人の心を動かし、その思いがまた誰かへとつながり、能登へ足を運ぶきっかけになっていく。
そこにあるのは、ただ「音楽の力」という言葉だけでは言い表せないものなのかもしれません。
MISIA さんの歌声から伝わってくる、人を思う心。
そっと寄り添おうとする温かさ。
私たちは、その一つひとつを受け取っているように感じています。
MISIA さん。
震災から今日まで、変わらず能登に寄せてくださる思い。
のと鉄道に乗り、車窓から眺めてくださった能登の風景。
穴水駅に流れる歌に耳を傾け、そこで感じたことを、多くの方へ届けてくださった言葉。
その一つひとつに、心から感謝しています。
能登の復興への道のりは、まだ続いています。
そして、のと鉄道も地域とともに、その道を一歩一歩進んでいきます。
明日も穴水駅では、列車がやって来る少し前になると、MISIAさんの歌声が流れます。
その歌声が、能登に暮らす人にも、能登を訪れる人にも、そっと寄り添いながら――。
2026.9.9
のと鉄道株式会社/©リズメディア

【のと鉄道の社員と共に】